暇なのかなぁ

中・高とオタク街道まっしぐらだったので、人をいじめたり、いじめれたりにかかずりあってる暇なんかなかったなぁ。
小学校の時も加担するのもシカトするのも面倒なので、話し掛けられれば答えていたし、先生に勉強教えてやれって言われて教えたりもしたかなぁ。教えてやれって言われて「やだ!」って言うのも角が立つし?で、教えてやらなきゃ「何だ教えてやれって言っただろ!」って話しになるでしょ?
中学ん時は…どうかな?イタズラと嫌がらせと紙一重みたいなコトしたかなぁ?1〜2回。受験生だったんで病んでいたんだろうなぁ。嫌いだったから嫌がらせなんだろうなぁ。
高校の時は、記憶がないなぁ(;^_^Aどっちかって言えばごく仲のイイ人以外アタシ自身が避けていたもんなぁ。オタク最高潮の頃だから。…もしかしたらシカトされていたのかなぁ?あんまり人と教室で話した記憶がない。…って言っても高校の記憶自体が曖昧でそうでもないのかも知れない。
大人になったら、日々をこなすので精一杯で。誰が誰と仲が悪いとか、人々の機敏に鈍感だし。気付いても面倒だから気が付かないフリしちゃうし。おかげ様で今やそういう七面倒臭い話は一切アタシにする人はいません。賛同してくれないから。
で、いじめられる人にも問題があるのかって言ったら、なんか鶏・卵な気がする。
だってアタシ小学生の時、勉強教えてあげたら多分「この子はいじめる気がない」って思われたんだろうね。お手紙セットか何か音楽室でコッソリ渡されて「お友達になってね」って言われた時ハッキリとカチンと来たもん!「何だ!買収か!」って。今にして思えばその子もどうにか友達になりたかったのかも知れないけど、子ども心にそのやり方が鼻についたんだよね。別にだからっていじめたりしなかったけど。面倒だから。でもより最小限しか話さなくなったのは事実で、それをシカトって言うんだって言えば、シカトしていたことになるんだろうね。
ひちょりとか、ハーフの子とか、あれはいじめって言うかもう差別だけど、はたしていじめられる子には一分も非はないのかなぁ。もちろんいじめている側は100%非があるとしても。だって社会人は多少ムカつく人が居たって「お給料もらってるんだから」って我慢もするじゃん。でも、コドモはそういうのがあるわけじゃないから。いくらお題目の様に「いじめは最低だ」とか「イケナイことなんだ」とか言ったって、わかってなければ自分の気持ちを害ねるモノを排除するのに我慢なんかする理由がないでしょ?その人の気持ちを害ねる何かをどうにかしないと、やっぱりいじめは続くんじゃないの?その子に。
でも、それを指摘してやればいいじゃないかってのも、正直それを子どもに言ってるヤンキー先生はお門違いだと思うけど。だって大人だって誰かに何かイケナイところがあるとしてそれを指摘してくれる人が人口の何パーセントいるって?
それこそ親や担任の役目なんじゃないの?いじめはイケナイって教えるのと一緒でさ。